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2025年6月21日主日礼拝

fmiwadecc
6月22日
読了時間: 3分

メッセージ題:「罪人を招く神」

聖書箇所:ルカの福音書 5章28節〜32節

「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(31-32節)

① 「中風の人の癒し」が示す、イエス様の罪を赦す権威(伏線)

レビ(マタイ)が招かれる直前、イエス様は身体が麻痺して動けない「中風の人」を癒されました。その際、イエス様は単に病気を治しただけでなく、「あなたの罪は赦された」と宣言されました。 周囲の宗教指導者たちは「神のほかに誰が罪を赦せるか」と憤りましたが、イエス様は男を歩かせることで、ご自身に「地上で罪を赦す権威があること」を目に見える形で証明されたのです。この「罪の赦しの権威」の証明こそが、直後に続くレビの招きの力強い伏線となっています。

② 霊的中風(罪)の真っただ中にある者への、神からのアプローチ

中風の人が自分の力では一歩も動けなかったように、徴税人レビもまた、罪と孤独の泥沼から自力で抜け出すことはできない「霊的な中風(麻痺)状態」にありました。 誰もが彼を汚れた者として避ける中、イエス様の側からその場所へ近づき、「わたしに従ってきなさい」と声をかけられました。中風の人を動かしたイエス様の「権威ある言葉」が、今度はレビの固く麻痺していた心を動かし、彼を立ち上がらせたのです。

③ 罪人と交わっても汚れない「圧倒的な聖さと愛」

救われた喜びから、レビは自分の家で大きな宴会を開き、仲間である徴税人や罪人たちを大勢招きました。宗教指導者たちは「なぜ罪人どもと一緒に食事をするのか」と非難します。当時の社会では、汚れた者と交われば自分も汚れると考えられていたからです。 しかし、イエス様の聖さと愛は圧倒的でした。光が闇に負けないように、神のきよさは罪人の汚れによって汚されることはありません。むしろ、イエス様が彼らと同じテーブルに着くことで、その圧倒的な愛が罪人たちの汚れを包み込み、彼らを内側から聖めていかれたのです。

④ 「医者を必要とする病人」としての悔い改め

イエス様は非難する人々に対し、「医者を必要とするのは病人である」と答えられました。 ここで言う「病人」とは、単に肉体の病を患う人だけではなく、「中風の人のように、自らの罪の前に無力であることを自覚している人」のことです。自分が健康(正しい)と思っている宗教指導者たちは、罪を赦す権威を持つ「魂の医者」を求めませんでした。 聖書が言う「悔い改め」とは、自分が病んでいること(罪人であること)を素直に認め、最高の医者であるイエス様にすべてをお委ねして、生きる向きを180度変えることです。

結び:癒しから、新しい生き方への招きへ

すべての福音書がこの順番で出来事を記録しているのは、「イエス様は、私たちの罪の病を根本から癒し、新しく生きるために招いてくださる方だ」という一つの明確なメッセージを伝えるためです。 中風の人が床を担いで歩き出したように、レビもまた罪の生活に決別して立ち上がりました。神様は今も、私たちの汚れを一切恐れず、私たちの罪の麻痺を癒すために近づいてくださっています。「主よ、私はあなたを必要とする病人です」と告白し、この圧倒的な愛の招きに応えて、新しい一歩を踏み出していきませんか。


 
 
 

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