6月28日主日礼拝式
- fmiwadecc
- 6月30日
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キリストの自由(ガラテヤの信徒への手紙 5章1〜15節)1. ガラテヤ書が伝える「福音」の核心 [57:13] パウロがガラテヤの教会に伝えたかったのは、イエス・キリストがもたらしてくれた豊かな「福音(素晴らしいお知らせ)」です。私たちは罪の沼にはまり、自力では抜け出せず神様との関係が断絶していましたが、神様はイエス様をこの世に送り、十字架と復活の奇跡によって天国への道を備えてくださいました。イエス様が私たちの悪いところをすべて洗い流し、身代わりとなってくださったことで、私たちは罪の縄目から解放され、神様との関係が回復されるのです。
2. 律法と福音の違い [59:17] かつて神様はイスラエルの民に「律法(決まりごと)」を示されました。しかし、人間は自分の力で律法を完全に守ることはできず、自力で神様との関係を回復したり天国に行ったりすることは不可能です。律法が明らかにしたのは、「完全なる神の義に対して、人間は追いつくことができない」という事実でした。だからこそ神様はイエス様を救い主として送られました。私たちは、自力ではなく、イエス様を救い主として受け入れ信じることによって、神様のもとへと導かれるのです。
3. 教会における古い教えとの混乱 [01:03:54] ガラテヤの地方の教会では、「信じるだけで救われる」という福音の一方で、「教会のメンバーシップに入るためには、割礼など古い律法のしきたりに従わなければならない」と主張する人々が現れ、混乱が起こっていました。これに対してパウロは、古いしきたりに縛られることは意味がなく、ただイエス様を信じる信仰によって自由な存在になるのだと説得しています。
4. キリスト者における「自由」と「愛」の意味 [01:07:56] 16世紀の宗教改革者マルティン・ルターも著書『キリスト者の自由』で語ったように、信仰によって与えられる自由は、自己中心的なものではなく「愛の奉仕」へと向かうものです。 自由には2つの意味があります。
人間は本来、罪の奴隷であり神様に応える力が欠落していますが、聖霊(みたま)が先んじて私たちの心に働きかけることによって、私たちは神様の望む選択をする「状態的な自由」を与えられます [01:21:58]。神様の意思に反するリスクもある中で、私たちが自発的に神様の求める選択をするとき、そこに神様への愛が輝きます。
5. 互いに仕え合う歩みへ [01:30:26] この自由と愛の関係は、神様と自分自身の間だけではなく、教会の兄弟姉妹たちの交わりの中でも発揮されるべきものです。自らの欲を満足させる機会とせず、相手の尊厳と自由を最大限に尊重し、愛をもって互いに仕え合うことが大切です。「隣人を自分のように愛しなさい」という一言に律法のすべてが詰まっています [01:32:31]。日々の生活やしがらみの中で不自由さを覚え、自由や愛を見失いそうになるときは、神様に心を清めていただき、喜んで神様の御手にこたえて歩んでいきましょう。


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