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イザヤ書27章

fmiwadecc
6月20日
読了時間: 2分

イザヤ書27章は、「どれほど厳しい現状(捕囚や苦難)があっても、神の最終的な目的は破壊ではなく、悪の根絶と我が民の救済(回復)である」という強いメッセージを持っています。

苦難の時代を経て、罪が清められた民が再び神のもとに集い、世界を祝福する存在になるという、新天新地を見据えた壮大な救済のビジョンがここに完成します。

イザヤ書27章3〜6節の「恵みのぶどう園」の御言葉を通じて与えられた、神と人、そして人と人との関係における「本当の和解」について。

1. 聖書が提示する「逆転の歩み寄り」

一般的に「和解」とは、悪を行った者が反省して歩み寄るものと考えられます。しかし聖書(イザヤ書)が描くのは真逆のドラマです。裏切られ、傷つけられた側であるはずの「神」のほうから、夜も昼もぶどう園を見守り(3節)、先に両腕を広げて人間の元へと歩み寄ってくださいます。

2. 「心で近づく」という人間の応答

神がどれほど圧倒的な愛で先手を打ってくださっても、それだけで和解が成立するわけではありません。神が求めておられるのは、外見的な宗教行為ではなく、私たちの「心の向き」です。 「神に近づきなさい」(ヤコブ4:8)という招きは、自分を頼る高慢を手放し、差し伸べられた手を信頼して握り返すという、内面的な「心の一歩」を意味しています。

3. 人間関係における真理 ── 「本当の仲良し」になるために

このことは、日々の人間関係にも全く同じことが言えます。 傷つけた側(許された側)には、罪悪感や気まずさという壁が生まれます。傷つけた相手から「許すよ」とドアを開けてもらったとき、そこからさらに許された側が自ら一歩を踏み出して近づいていかない限り、本当の「仲良し(親密な関係の回復)」に戻れません。

4. 御言葉の約束(イザヤ書27:5〜6)

神は「わたしの保護にすがり、わたしと和解するがよい」と促されています。気まずさを捨ててその懐に飛び込み(近づき)、しっかりと根を張るとき、二人の間の壁は完全に消え去ります。そしてそこから、世界を満たすほどの豊かな信頼と安心という「実」が結ばれていくのです。

【核心】 許す側が痛みを飲み込んで「ドアを開け」、許された側が勇気を持ってそのドアをくぐり「近づく」。この双方向の歩み寄りが重なった瞬間に初めて、本当の和解(シャローム)は完成します。


 
 
 

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