イザヤ書5章
- fmiwadecc
- 5月31日
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イザヤはまず、美しいぶどう畑の歌を歌います。
畑の持ち主は、良い土地を選び、石を取り除き、見張り台まで建てて、最高のぶどうが実るように手を尽くしました。
しかし、期待していたのは甘く豊かな実だったのに、実際にできたのは酸っぱくて食べられない野ぶどうでした。
このぶどう畑はイスラエルの民を表しています。
神様は彼らを愛し、守り、祝福し、導いてこられました。それなのに、人々は神様から離れ、不正や自己中心な生き方へと向かってしまったのです。
神様が求めていたのは「正義」でした。しかし実際に見つかったのは「流血」でした。神様が期待していたのは「正しい歩み」でした。しかし聞こえてきたのは「苦しむ人々の叫び」でした。
神様が告げた6つの災い
続いてイザヤは、「災いだ」という言葉を繰り返します。
その内容は驚くほど現代的です。
富や土地を独占する人々
快楽や酒に溺れる人々
罪を軽く考える人々
善悪の基準を逆転させる人々
自分の知恵を誇る人々
利益のために正義を曲げる人々
約2700年前の言葉ですが、現代社会にもそのまま当てはまるように感じます。
技術や経済が発展しても、人間の心の問題はあまり変わっていないのかもしれません。
警告を無視した先にあるもの
神様は何度も語りかけました。
しかし、人々は耳を傾けませんでした。
その結果、遠くから敵国が呼び寄せられ、国は裁きを受けることになります。章の終わりには、ライオンのような敵が迫り、国全体が暗闇に包まれるという重い場面で締めくくられています。
これは単なる脅しではありません。
神様は裁きを喜ばれる方ではなく、人々が立ち返ることを願っておられました。しかし、警告を拒み続けるなら、その選択の結果を刈り取ることになるのです。
私たちへのメッセージ
イザヤ書5章は、「神様は私たちに何を求めておられるのか」を教えてくれます。
神様が求めておられるのは、能力や成功ではありません。
正義を愛すること。 弱い人を顧みること。 神様との関係を大切にすること。
どれほど豊かになっても、どれほど便利な社会になっても、この土台を失えば人も社会も崩れていきます。
イザヤ書5章は、神様の怒りの物語であると同時に、神様の深い愛の物語でもあります。
愛しているからこそ、神様は今日も私たちに問いかけておられます。
「あなたの人生には、どんな実が結ばれているだろうか。」


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