イザヤ書6章
- fmiwadecc
- 6月1日
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1. 期待外れのぶどう畑(5章)
神様はイスラエルという国を「最高級のぶどう畑」として、これ以上ないほど大切に育てました。期待したのは、社会に満ちる「正義」と「思いやり」という美味しい実。
しかし、実ったのは「格差、依存症、道徳の崩壊、司法の不正」という酸っぱい野ぶどうでした。 「特権や恵みを与えられている者には、それに応じた責任がある」という、鋭い警告が響きます。
「ここに私がおります」という覚悟(6章)
国が傾き、誰もが不安に怯える中、預言者イザヤは天の神殿で「圧倒的に聖なる神様」の幻を見ます。
あまりの清さに自分の罪を思い知らされ、絶望するイザヤ。しかし、神様は彼の罪をきよめ、「誰を遣わそうか」と呼びかけます。 そこでイザヤが答えた名言がこれです。
「ここに私がおります。私を遣わしてください。」
それでも語り続ける理由
しかし、神様から与えられたミッションは衝撃的なものでした。 「お前が語れば語るほど、人々は心を閉ざす。誰も言うことを聞かないだろう」という、成果ゼロが約束された派遣だったのです。
「結果が出なくても、ただ忠実に語り続けなさい」――。神様が求めたのは、数字の成果ではなく、徹底的な「誠実さ」でした。
この章が現代の私たちにくれるヒント
国は荒れ果て、すべてが切り倒されてしまうような絶望的なラスト。しかし、神様は最後にこう締めくくります。
「切り倒されても、そこには『切り株』が残る。それこそが聖なる種(希望)だ」
どんなに状況が最悪に見えても、終わりではありません。 土の中で静かに次の時代を待つ「切り株」のように、私たちも目の前の結果に一喜一憂せず、今いる場所で誠実に実を結んでいきたいですね。


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