イザヤ書7章
- fmiwadecc
- 6月2日
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時代背景:アラム・エフライム戦争(1〜2節)
舞台は紀元前730年代。当時、中東地域では巨大帝国アッシリアが急速に勢力を拡大し、周辺国を飲み込もうとしていました。
これに対抗するため、北イスラエル王国(別名エフライム)とアラム(シリア)が同盟を組みます。彼らは南ユダ王国(王はアハズ)にも「一緒にアッシリアと戦おう」と誘いますが、アハズ王はこれを拒否。怒った北イスラエルとアラムの連合軍は、南ユダを武力で脅し、言うことを聞く王にすげ替えようとエルサレムに攻め上ってきました。
「王の心も民の心も、林の木々が風に揺らぐように動揺した。」(2節)
南ユダの街全体が、恐怖でパニックに陥っている状態から物語が始まります。
神のメッセージ:「信じなければ、立ち行かない」(3〜9節)
絶望するアハズ王のもとに、預言者イザヤが息子を連れて現れます。神からの伝言は「パニックになるな、冷静になれ」というものでした。
神は、攻めてきている北イスラエルとアラムの王たちを「くすぶる二本の燃え残りの薪の尾」(4節)にすぎないと切り捨てます。勢いがあるように見えても、すでに燃え尽きかけている煙にすぎない、という意味です。そして、イザヤはアハズ王に決定的な言葉を突きつけます。
「もしあなたがたが信じないなら、あなたがたは決して立ち行くことができない。」(9節)
目に見える軍事力ではなく、目に見えない神を信頼できるかどうかが、国の存亡を分けると迫ったのです。
インマヌエルのしるし(10〜17節)
神はアハズ王の不安をなくすために「何でも好きな『しるし(奇跡)』を求めなさい」と言いますが、アハズは「私は求めません。主を試みません」と敬虔そうな態度で断ります。
しかし実は、アハズの心はすでに決まっていました。神を信じるのではなく、大国アッシリアに賄賂を贈って助けてもらおう(裏で同盟を組もう)と動いていたのです。その不信仰を見抜いたイザヤは、激怒してこう告げます。
「それゆえ、主自ら、あなたがたにしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。男の子を産み、その名を『インマヌエル』と呼ぶ。」(14節)
「インマヌエル」の二重の意味
この預言には、歴史的な直近の意味と、のちのキリスト降誕という2つの意味(二重預言)があります。
当時の意味: 「インマヌエル」とはヘブライ語で「神は私たちと共におられる」という意味です。その子が生まれて「善悪をわきまえる(物心がつく)前」までに、ユダを脅かしている2つの国(北イスラエルとアラム)は滅びる、と告げられます。実際、歴史はその通りになりました。
のちの意味: 新約聖書(マタイによる福音書1章)では、この言葉がイザヤの時代を超えて、イエス・キリストの処女降誕を預言したものとして完全に成就したと解釈されています。
結末と教訓:人間的な策の代償(18〜25節)
章の後半では、アハズ王が神を拒絶し、アッシリアに助けを求めたことへの「皮肉な結末」が警告されます。
アハズの目論見通り、アッシリアは北イスラエルとアラムを滅ぼしてくれました。しかしその後、アッシリアの矛先は南ユダ自身にも向けられます。「助けてくれたはずの味方が、次の侵略者になる」という最悪の結果を招き、ユダの国土は荒廃することになりました。
この章が伝える現代へのメッセージ
イザヤ書7章は、現代の私たちにもこう問いかけています。 困難やピンチに直面したとき、私たちは目に見える人間的な「策」や「妥協」に飛びついてしまうか、それとも「神が共におられる(インマヌエル)」ことを信じて、踏みとどまることができるか。
アハズ王の失敗は、「神を信頼せずに自分の計算だけで動くと、結果的にその計算に足元をすくわれる」というリアルな教訓を残しています。


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